参考文献:
「大半のソフトウェアエンジニアは、鬱に近いアイデンティティ危機を抱えている」
こう語るのは、シリコンバレーのベンチャーキャピタル・Menlo VenturesのパートナーDeedy Dasだ。テック業界で何が起きているかを、これほど直截に表現した言葉も珍しい。
「職人」が「後始末係」になっていく
AIコーディングツールの普及で、熟練したエンジニアたちの仕事の中身が変わりつつある。経験を積んだ「職人」たちが、AIが吐き出した粗悪なコードを延々と修正する役割に追いやられているというのだ。
Dasはこれを「ワークスロップ(workslop)」と呼ぶ——AIが生成した粗雑なアウトプットが同僚に次々と回されてくる現象だ。「職人たちは疲弊している。毎日毎日、やるべき仕事は増えるのに」
一方で会社はAIに巨額の投資を続ける。ある匿名企業は、たった1カ月でAnthropicのサービスに約5億ドル(約750億円)を費やしたという。それだけの金額を投じても、生産性向上のリターンが明確に出ているかどうかは疑わしいと、コンサルティング会社は警告を出し始めている。
「AI使用量」が人事評価に入る会社も
Metaでは、AIの使用頻度そのものが業績評価の指標に組み込まれているという。コードの品質よりもAIを使ったかどうかが重視される文化が、現場に浸透しつつある。
「トークンマックシング(tokenmaxxing)」という言葉も生まれた。AIが使うトークン(処理量)をとにかく増やすことを良しとする考え方で、「AIをたくさん使っています」とアピールする文化とも言える。
こうした評価軸に経験豊富なエンジニアは違和感を覚えている。長年かけて磨いてきたコーディングの「判断力」や「設計力」は、AIツールの使用量とは別の話だからだ。
熟練者の離職が始まると「知識が消える」
ベンチャーキャピタルの調査では、このような状況に嫌気がさした熟練エンジニアたちが次第に退職を検討し始めているとも報告されている。
問題はその後だ。熟練エンジニアが持つのは単なる「コードを書く能力」ではなく、長年の経験に裏付けられた「なぜこの設計なのか」という文脈知識だ。その人たちが抜けると、残ったチームはAIに「どんな質問をすれば良いか」さえわからなくなる可能性がある。
AIが「経験ゼロの新入社員」のようなコードを大量生成し、それを修正できる人材が去っていく——そのサイクルが続けば、組織のソフトウェア開発能力そのものが空洞化するリスクがある。
コンサルティング各社が「AIエージェント乱用(AI agent sprawl)」への警戒を呼びかけているのは、この問題が顕在化しつつあるからかもしれない。
技術の進歩が速ければ速いほど、現場の人間は走り続けることを強いられる。AIコードの後始末を続けながら、自分が何者なのかわからなくなっていくエンジニアたちの声は、AI時代の労働現場が抱える矛盾を正直に映し出している。