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「自分が一生かけて磨いた技術が、もう要らない」——AIに存在意義を奪われるエンジニアたち

「自分が一生かけて磨いた技術が、もう要らない」——AIに存在意義を奪われるエンジニアたち
Image credit: r/technology

AIコーディングツールが職場に入ってきたことで、ソフトウェアエンジニアたちの間に異変が起きている。

ベンチャーキャピタルMenlo VenturesのパートナーでAI・エンタープライズソフトウェア投資を手がけるディーディー・ダスは、現場の状況をこう表現した。「ほとんどのソフトウェアエンジニアが、うつ病に近いアイデンティティ危機に直面している」

大げさに聞こえるかもしれない。しかし、エンジニアという職業は「自分の手でコードを書く」こと自体がアイデンティティの核になっている特殊な世界だ。その核が、AIによって溶かされ始めている。

「怠け者」と「職人」の分断

ダスが指摘するのは、AIコーディングツールの導入によってエンジニアが2種類に分かれつつあるという現象だ。

一方は「怠け者(lazy)」。AIにコードを書かせ、質問に答えさせ、進捗報告まで作らせて、自分はほとんど手を動かさない。もう一方は「職人(craftsmen)」。AIが吐き出した大量のコードを読み、理解し、バグを見つけ、修正する。

問題は、この負担が完全に偏っていることだ。

AIがコードを生成するスピードは速い。しかしそのコードの品質を保証するのは、結局人間の目だ。プルリクエスト(コードの変更申請)は増え続け、レビューの山に埋もれる。バグはすり抜けて本番環境に入り込む。職人たちが疲弊していく。

ダスは言う。「職人たちは疲れている。ものすごく疲れている。レビューの負担が全部、職人に集中しているんだ」

「自分の技術が、もう要らない」

しかし、より深刻なのは疲労そのものではなく、その奥にある感情だ。

ダスによれば、エンジニアたちは「自分が人生をかけて磨いてきたスキルが、もう役に立たない」と感じ始めている。コードを書くことは単なる作業ではなく、彼らにとっては職人芸であり、誇りであり、自分が何者であるかを定義するものだった。

それが「AIの出力を監視する仕事」に変わりつつある。いわば「ボットの子守(botsitting)」だ。AIの面倒を見て、ミスを拾い、品質を担保する。目に見えにくいが消耗する仕事であり、しかもそれは「自分がやりたかったこと」とはまるで違う。

創り手が「検品係」になる皮肉

この現象は、特に社歴10年以上の大企業で顕著だという。エンジニアの実力にばらつきがある組織ほど、AIツールの導入が分断を加速させる。

構造的な皮肉がある。AIコーディングツールは「エンジニアの生産性を上げる」という触れ込みで導入されている。しかし実際に起きているのは、一部のエンジニアが楽をする代わりに、別のエンジニアが倍働くという負荷の偏りだ。そして「倍働いている」側のエンジニアほど、組織にとって本当に必要な人材である。

ソフトウェアを「書く」時代から「管理する」時代への移行が、静かに、しかし確実に進んでいる。その過程で失われていくのは、単に仕事のやり方だけではない。「自分は何を作る人間なのか」という、エンジニアたちの存在理由そのものだ。