テキサス州ハリス郡で金曜の夜、テスラModel 3が道路を逸れ、右カーブを曲がりきれずに民家の壁を突き破った。衝突の先にあったのは、孫たちの遊び部屋だった。
その部屋にいたマーサ・アビラさん(76歳)は病院に運ばれたが、そのまま亡くなった。
44歳の運転手は捜査当局に対し、衝突時に自動運転の支援システムが作動していたと証言している。ただし、それがオートパイロットだったのかFSD(Full Self-Driving)だったのかは、現時点では確認されていない。
「あの人はあんな死に方をするべきじゃなかった」
娘のジェニファー・バーバーさんは、こう語っている。
「母はあんな死に方をするべきじゃなかった」「運転手のせいなのか、車のせいなのか、何が起きたのかわからない。あんなスピードで走る車を見たことがない」。
自宅のリビングにいて、壁の向こうから車が飛び込んでくる。そんなことは普通、想定しない。しかしそれが現実に起きた。しかも、ハンドルを握っていたのは人間だけではなかった可能性がある。
テスラの沈黙、マスクの沈黙
テスラからもイーロン・マスクからも、この事故についてのコメントは出ていない。
テスラが自動運転関連の死亡事故でコメントを出さないのは、もはやパターンだ。技術的な原因究明が終わるまで沈黙を守るという建前だが、結果として「テスラ側の非は確認されなかった」という空気を作るのに貢献している。
マスクは以前から、オートパイロットは人間の運転より統計的に安全だと主張してきた。数字の上ではそうかもしれない。しかし、その統計の中に、自宅の壁を突き破って命を奪われた76歳の女性が含まれているとき、「平均的には安全」という言葉にどれだけの意味があるのだろうか。
「自動運転」の責任はどこにあるのか
この事故が改めて浮かび上がらせるのは、自動運転事故における責任の所在の曖昧さだ。
運転手は「自動運転システムが動いていた」と言っている。だがテスラは、オートパイロットもFSDも「運転手が常にハンドルを握り、注意を払うこと」を前提とした補助機能だと主張している。事故が起きれば「運転手の責任」であり、事故が起きなければ「テスラの技術の成果」だ。
この非対称な構造が続く限り、自動運転技術の安全性を正しく評価することは難しい。メーカーはリスクを運転手に押し付け、運転手はシステムを過信し、その間に巻き込まれるのは、何の関係もない第三者である。
マーサ・アビラさんは、道路を歩いていたわけでも、車に乗っていたわけでもない。自宅にいた。それでも、自動運転技術の犠牲になった。「自動運転が人を轢く」リスクは語られてきたが、「自宅にいる人が自動運転車に殺される」というリスクは、まだほとんど議論されていない。